試写会「カポーティ」

小松さんからのお誘いで、「カポーティ」の試写会に行った。トルーマン・カポーティが『冷血』を書くまでのというか、書き上げるプロセスを描いたものだが、これはカポーティという作家と『冷血』という作品を知らないと、よく理解できないのではないかなと思った。


『冷血』を書いたカポーティという図は、試写後のトークショーで青山先生がおっしゃっていたように、イコールで結びつかないイメージで、『冷血』はカポーティ作品の中でも非常に特殊なものだ。もしかしたら取材に同行した幼馴染のハーパー・リーが・・・という説もあるくらいだから。


しかし、その『冷血』を書いたカポーティという人間は、『草の竪琴』や<イノセント・シリーズ>を書いた人物と同一であり、だからこそ犯人のスミスに自分と共通した部分を見出し、作品にのめりこんでいったのだと私は思う。ハーパー・リーの手助けはあったにせよ、彼の心の純粋な部分を、スミスが動かしたことは否定できないだろうと私は思う。


私自身も、カポーティに自分自身を見るような気がすることが時々ある。天才という部分は全然違っているにしても、特にカポーティの欠点とされる部分が、自分の中にも見出せるような気がするのだ。そして、カポーティのセンチメンタルな部分には、言葉で言い表せないほどの共感を覚える。


つまり、私は自分を愛するようにカポーティが好きなのだ。だから私としては、この映画はカポーティをどう描こうとしていたのか、はっきりと知りたかった。トークショーでは、どちらかといえば欠点があげられていたが、結局そういう映画だったのだろうか?


しかし、やはり青山先生がおっしゃっていたように、社交界好きの虚言癖のあるゲイでも、カポーティのリリカルな文章はピカ一である。やはり天才だと思うし、どれほど悪く描かれようと(この映画が悪く描いているという意味ではないが)、私はカポーティが好きだ。