ユダヤ人と反ユダヤ主義─第11回:日本におけるユダヤ問題論議

本当は先週で終わっているはずの授業だが、今日は補講。通常は4時10分に終わるはずなのだが、時間も延長で、結局質問や何やらで気づいたら5時半くらいになっていた。


日本の場合、ユダヤ人問題に関しては特異で、ユダヤ人不在の中でのユダヤ問題論議という状況であった。在日ユダヤ人としては、幕末の1860年前後に長崎に来たのが最初と思われるが、それも10家族程度であったと推測される。現在の日本におけるユダヤ人居住者数は1000人〜2000人。大半は一時的滞在のビジネスマンと家族である。


日本における反ユダヤ感情は、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』が翻訳されたことにより、「守銭奴・高利貸シャイロックユダヤ人」というイメージが定着し、1918年〜22年のシベリア出兵により、日本におけるユダヤ論議がスタートする。反ユダヤ派のほとんどは、シベリア出兵経験者。


一方、内村鑑三などの親ユダヤ派も存在していたが、独特なのは「日本ユダヤ同祖論」派であり、京都市西北部の太秦帰化定住した秦氏は、ヘブライ人の子孫であるとし、国宝第一号弥勒菩薩のある広隆寺は、ダビデ王を祭った神社であるという説を唱える。


ドイツにヒトラー政権が誕生したことにより、反ユダヤ派に大きな影響があったが、後に日米開戦の頃には反ユダヤ派の一部は日ユ同祖先論派となって、ユダヤ人難民を事実上保護したりもした。


この背景には、アメリカを牛耳っているのはユダヤ人であるから、ユダヤ人に恩を売っておけば、日米開戦はないとの思惑があったようだが、ユダヤ人がアメリカを牛耳っているという説が事実無根であることを証明したにすぎない。



ざっとこんなわけで、日本人のユダヤに対する知識のなさにも驚くが、世界史的にユダヤ人迫害の歴史は延々と続いてきているわけで、そうまで迫害されるユダヤ人とは、本当は何者なのか?と、知れば知るほど疑問がわいてくる存在でもある。


これを前期だけで終わりにするのは難しいと近藤先生もおっしゃっていたが、今回学んだことは、ほんのうわべだけにすぎないのだろう。とても根の深い重大な問題だと痛切に感じた次第。