『プラネタリウムのふたご』

先日に引き続き、もう1冊いしいしんじの本『プラネタリウムのふたご』を読み終えた。これは、一応児童書の部類になっているのだが、結構深いなあと思った。宮沢賢治に似ているというイメージはどうしてもぬぐえないが、いしいしんじいしいしんじの世界を確立していると思う。


話は、プラネタリウムに置き去りにされた銀色の髪の双子の少年テンペルとタットルの物語だが(プラネタリウムの解説員である泣き男が、テンペルタットル彗星についての解説をしているときに発見されたので、その名がついた)。


小さな町(日本のようでもあり、外国のどこかのようでもある)で、毎日プラネタリウムを見ながら育った双子のうち、テンペルはたまたま町に来た手品師の一座とともに町を去り、高名な手品師となる。かたわれのタットルは、町から一度も出ることなく、郵便配達の仕事をしながら養父の後を継ぎ、プラネタリウムの解説員となる。


それぞれの生き様を描きながら、不慮の事故でテンペルが死んだあと、タットルは自分に課せられた使命を知るという話だ。これが淡々と語られているにもかかわらず、涙せずにいられないような悲しみをもたらす。


テンペルの生涯も立派なものだったが、私は小さな町から出たこともないタットルの生涯に惹かれた。タットルには、その小さな町が彼の世界のすべてであり、そこで起こることが、タットルの意識の及ぶ範囲なのだ。たまに届くテンペルからの手紙や、目の見えないおばあさんに頼まれて読んであげる異国からの手紙など、どちらも胸がわくわくするような事柄だが、タットルは、それをけして自分には結び付けない。


しかし、おばあさんの死やテンペルの死によって、タットルは自分が何をしなければならないのか、何をしてはいけないのかを悟る。その悟りは、けして楽しいことではなく、むしろ苦悩すらするのだが、それが、これまで自分のしてきたことの報いであると思い、ひたすらそれを受け入れる。


折々の季節に見える星々の神話に重ね合わせるように、テンペルとタットルの話が語られていくさまは美しく、また神秘的である。最後は涙なくしては読めない。