『指輪物語』

『指輪物語』*1 は、その存在をふと思い出すたびに思わず頬がゆるむ、そういう類の作品である。このような文学作品はほかにない。比類なきスケールの叙事詩、素晴らしく独創的なファンタジー、そして堂々たる言語の祝祭。ジョン・ロナルド・ルーエル・トールキンJohn Ronald Reuel Tolkien)の傑作は、人間の想像力が成し遂げた偉業のひとつである。ほとんどの作家は本を書く。トールキンは一個の世界を作り上げた。


トールキンをけなす人の言い分は─その多くの本当の不満は、要するに彼の本が読み易すぎるということのように思えるが─トールキンは素朴なファンタジー作家にすぎず、ファンタジーというジャンルは子供じみた妄執の安っぽい匂いがするというものである。たしかに、ファンタジーには子供っぽさや逃避的傾向がある。しかし、どんなに高尚で、自覚的に「文学的」な文学でも、みな幾分は、世界から逃れようとする子供の企てにほかならない。そして正しい種類の素朴さは─そして妄執は─天才と区別不可能である。


トールキンは、彼の内に在る物語の神にすっかり身を委ねる。そうして彼が語る物語といったら!純粋な冒険譚として、これに並ぶものはない。これほど望みのない探求右派いかなる文学にも見当たらないし、これほど象徴的・原型的意味の重みを担った叙事詩がかくも詳細に(ほとんど耐え難いほど詳細に)語られたためしもない。指輪の仲間たちが、迷路のように曲がりくねった川や干上がった大峡谷を越えて、モルドールMordor)への長い道のりを一歩一歩、疲れた足を引きずって進んでいく。それがまた何という語り口で語られることか!文献学者トールキン、かの埃っぽい学問が文学にもたらしたニーチェ以来最大の贈り物たるこの学者は、とびきり柔軟なスタイルを操って、土地の日常語から荘厳な欽定訳聖書調のリズムまで自在に移行し、大仰さや違和感はいっさい感じさせない。ゴンドール(Gondor)が最後の必死の抵抗を試み、ローハンの騎手たち(the Riders of Rohan)がひづめの音を響かせて平原を駆け抜ける。呪文のような力をとめどなく増していくその完璧な文章を読んで心を躍らせないのは、知識ばかりを振り回す輩だけだろう。


トールキンは絶対善と絶対悪の世界を作り上げ、危機に瀕したその世界の中に、ひよわな凡人とその忠実な従者を配する。すべてを堕落させる「力の指輪」を破壊すべく二人が携わる探求は、キリスト教的な救済の物語であると同時に、ホメロス風・中世風な不屈の勇気のサーガであり、また、これが最も感動的な側面といえるだろうが、望みない悲劇でもある。フロド(Frodo)と仲間たちの勝利は世界を救うが、その救われた世界からは何かが失われている。エルフたちはそこから去っていくし、フロドにしても、受けた傷の深さゆえにこの世界に別れを告げるほかない。この偉大なシンフォニーにおいて最も深く響くのは、喪失の装飾音なのである。


あのトム・ボンバディル(Tom Bombadil)を、エントたち(the Ents)を、アラゴルンAragorn)の長い行軍を、灰色港(the Grey Havens)に向かう最後の出発を、誰が忘れられよう?それは一個の宇宙であり、授かり物である。


(以下省略)


─ゲイリー・カミヤ(『サロン・ドット・コム』より)