『レ・コスミコミケ』

イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』*1 を読み始めた。これも再読だけど、大好き!復刊を待ち望んで、やっと復刊されたときは、すごく嬉しかった。本のオビにはこうある。

「宇宙の生成って?最初に地上に出てきた生物は?恐竜はなぜ滅亡したの?本の中でこれらの質問に答えてくれるのは、ビッグバンのとき居合わせた掃除のおばさん、硬骨魚類の大叔父さん、昔恐竜だったQfwfq氏などなど。なにしろ宇宙が始まった時から生きていた人たちですから、臨場感に満ち満ちた話ばかり。そりゃあもう、類のない本なんです」─作家・川上弘美

特に冒頭の「月の距離」など、昔、月と地球の距離はとても近かったので、月に行くには脚立を上っていったものだなんて設定が、たまらなく好き。実際に、月と地球の距離は、昔はもっと近かったわけで、年々離れていっているのは誰でも承知のことだから、まんざら嘘でもないわけだが、なにしろ語り手のQfwfq氏は宇宙ができた頃から生きていて、宇宙空間を漂っている時に知人に会うと、「この前会ったのは、二億年前だったかな」なんて感じだし、5万年前には氏自身も恐竜だったりするわけで、とにかくスケールが大きい。


さらに、ベリウムだのニュートリノだのという科学的な用語が出てくるかと思えば、バルザック『ゴリオ爺さん』*2 の話が出てきたりする。というわけで、「日本は宇宙ができる前から存在した」などと書いてある『竹内古文書』にも勝るとも劣らない、まさに、奇想天外、荒唐無稽、破天荒な大法螺話なのだ。


カルヴィーノは、他に 『柔かい月』*3 も好き。これもやはりQfwfq氏の話だが、『レ・コスミコミケ』より、いくらか難しい話になっている。しかし、これにもまた唐突に 『モンテ=クリスト伯』*4 なんかが出てくる。そんなところから、カルヴィーノ『なぜ古典を読むのか』*5 という本を書いた理由が、ちょっとわかるような気もする。「図書館で眠っている世界文学の古典を甦らせる面白くてためになるエッセー」ということで、タイトルは知っていたが未読。古典を読もう!という主旨のブッククラブをやっているのだから、これはマジに読んでみなくてはならないだろう。


とにかく、これはすごい本だということを、再読しながら改めて実感している。ファンタジーとかSFとかといった言葉では言い表せない、やはり「幻想文学」と呼ぶべき本だろう。もともと私はSFファンだったが、そもそもファンタジーにはまったのは、この『レ・コスミコミケ』のせいだ。こんな法螺話があっていいのか!と思い、この手の本を読むようになったわけだから。


こうした法螺話は、目の付け所で大きく面白さが変わってくる。ロバート・オレン・バトラーの 『奇妙な新聞記事』*6 も目の付け所は面白いし、カルヴィーノ風の法螺話だと思うが、やはり大法螺吹きのカルヴィーノには、全然太刀打ちできないといった感じ。


カルヴィーノのオリジナリティに匹敵するのは、私が知っている限りでは、宮沢賢治くらいしかいない。もちろん内容もスタイルも全然違うけれども、どちらもその独自性においては、天才だと思う。目の付け所がいいという点では、T.C.ボイルも、もっと鉱物的な嗜好を取り入れ、かなりぶっ飛んだ状態になれば、もしかしたらカルヴィーノ的な感覚を開花させるかもしれないなと思ったりもして、非常に楽しみにしている。