『Black House』

「汚いな、この世の中はほんとに汚いな!」と思う今日このごろ。


うんざりして何もやる気にならないのだが、そんなときは、逆に邪悪なものを読もうというわけで、スティーヴン・キングとピーター・ストラウブの共著である 『Black House』*1 を読み始めた。キングはマキャモンとは違って、邪悪なものを書くほうが優れているし、マキャモンのように必ず善が勝つというわけでもないから。


冒頭は、なんだ、これは?という感じで、全く乗れなかった。出てくる名前が全て登場人物というわけでもないのに、やたら名前がたくさん出てきて混乱するし、場面展開も頻繁で、一体誰の話をしているのよ?という感じ。何と言っても、ストーリーには直接関係のない余計な話が多い。だからキングの本は分厚くなるのか。


この文体が、キング的なのかストラウブ的なのかよくわからないのだが、奇をてらっている感じがして、これもまた好きではない。キングは話題にもなるし、たまになんとなく読んでしまうのだが、この作品を読む限りにおいて、ストラウブの本は読みたいとは思わない。


とはいえ、先はどうなるんだろう?という好奇心は大いにかき立てられる。前作『タリスマン』では12歳だった少年が、警部補となって事件の捜査に関わるのだが、これがキングには珍しいヒーロータイプなので(おそらく、この人物設定はストラウブなのかもしれない)、とりあえず許せるかなといったところ。作者2人の趣味が出ているような余計なところは飛ばして、超特急で読書中。


ちなみにキングはずっとホラーだったが、ストラウブのほうは純文学思考らしい。キングも、最近は多少純文学にも言及するようになってはいるが。そこで、この作品にもディケンズの『荒涼館』などが頻繁に出てくる。ディケンズ好きと言えば、ジョン・アーヴイングが有名だけれど、キングもディケンズを読んでいるのかどうか・・・このあたりはストラウブの好みかもしれない。


というか、ディケンズの『荒涼館』の原題は『Bleak House』だ。キングとストラウブがこの本のタイトルを『Black House』にしたのは、どこかにディケンズとの共通点を持たせようとしたのだろうか。


それと、キングの少年時代は、家が貧しくてボローニャ・ソーセージのサンドイッチしか食べられなかったと、何かで読んだ記憶があるのだが、この作品にもボローニャ・ソーセージのサンドイッチが何度も出てくる。この部分は、間違いなくキングだろう。それほどボローニャ・ソーセージの記憶は、キングにとって切っても切れないものなのかも。三つ子の魂百までもだ。