音を楽しむこと

「父はダンスが好きだった。目に見える…二人が家のなかで、暖炉の前で踊っているところが。音楽はない。だが、父が…ハミングしている。母の手をとって立たせる。母をくるりとまわす…母が笑い声をあげる。うん…それが…音楽だったんだ」
ロバート・R・マキャモン『魔女は夜ささやく』より


これは、まさに私の音楽に関する原体験にほかなりません。

幼い時のクリスマスの夜、父と母が踊っていました。父はタンゴが好きでしたが、その時は映画音楽か何かのスタンダードナンバーを口ずさんでいたかもしれません。

みんながにこにこしていました。そんな光景を見て、私は照れくさいと共にとても嬉しく、幸せに満ちていました。それが、音を楽しむということを喜びと感じた音楽の原体験だったのだと思います。

このところ、ライブをする段取りや、集客やら何やらに忙殺されて、音を楽しむ音楽をしていなかったように思います。

自分が心の底から本当に楽しいと思えるのは、常にほんの一瞬なんですが、それが最高に嬉しい一瞬なんです。しかし、それを感じることもなく、無事に終えることだけを考えていたように思います。

マキャモンの文章を目にして、自分の原体験を思い出し、これではいけないと痛感しました。聴いている人が喜びを感じ、一瞬でも幸せだと思えるような音楽をやらなければ!何より、自分が音を楽しんでやれなくてはダメだと反省しました。

立ち止まってはいけない、休んではいけないと思って来ましたが、休むことも必要かもしれないと思います。雑事に追われることなく、心から音を楽しむ時間を持つべきだとも思いました。

楽しい音を作ること…それをモットーにやって来たのですから、まず自分が楽しくなければならない。しかし、楽しくやるためには、死ぬほど練習しなければできないんです。

歌でも楽器でも、思うように音を出すためには何といったって練習が大事。元の音楽を良く知り、何度となく練習を繰り返して、初めて自分が思うような音が出てくるのです。そうなれば、こんなに楽しいことはありません。

結局、基本に戻るわけです。練習を疎かにしていたら、どんなに上手いミュージシャンでもアンサンブルにはなりません。

曲をよく研究して理解し、練習を積む努力を惜しまないミュージシャンなら、たとえ今現在は未熟でも、必ず良くなると思うし、信頼して任せることができると思います。

とりとめがなくなってきましたが、自分が楽しいと思えること、人を楽しませることは、理屈ではないのだと私は思います。

心を開いて安心して聴いて貰えるよう、もっともっと練習したい、もっともっと感覚を磨きたいと思います。そして、もっともっと音が好きになりたいと思います。