ユダヤ人と反ユダヤ主義─第9回:イスラーム圏におけるユダヤ人

ムハンマド(モハメット)は、ユダヤ教から多くのことを学び、彼らを手厚くもてなした。彼がヒジュラ(聖遷)の場所としてメディーナを選んだのも、そこがユダヤ教徒の多い地域であったことが一因。


しかし、メディーナのユダヤ学者はムハンマドを嫌っていた。これは彼もある程度予想していたことでもあり、当初はユダヤ教に対して妥協的な態度を示していた。ヨム・キプール(贖罪日)での断食や、エルサレム礼拝などはその一例。


ところがユダヤ人側は、これに好意的な反応を示さなかったばかりか、ムハンマドと敵対するメッカのクライシュ族と交易関係をもっていたメディーナのユダヤ人の一部は、彼を裏切る行為に出た。この結果、ユダヤ人に対する彼の態度は硬化。礼拝方向をメッカに変更。


以後、ムハンマドによるユダヤ3部族(ナディール、クレイザ、クゥエイヌカ)個別撃破開始。


というわけで、イスラム教徒たちは、ユダヤ人虐めに熱意を燃やすようになるわけ・・・。はあ〜、宗教って何だろう?人間て何だろう?