宮沢賢治系のファンタジー

ステファニー・メイヤーの『トワイライト(1)』を読了したところに、運良く(運悪く?)図書館から2巻目の準備ができたと連絡が入った。こうタイミングがいいと、やはり読まないわけにはいかないだろうなと思い、さっさと終わらせようと、早速取りに行った。


これは本当に人気のある本のようで、たしかに高校生くらいの女の子にとっては、本当にわくわくものかもしれない。下手な感想を書くと、めちゃくちゃ怒られそうだ。(^^;


だけど、私がなぜ好きじゃないかと言うと、主人公の女の子の気持ちが逐一書いてあるのが、ドタバタしていて嫌なのだ。それはこの本に限ったことではなく、どんな本でもそうなのだが、淡々と語られているもののほうが好きだし、逆にそのほうが登場人物の気持ちが伝わってくるので、日記みたいに感情がもろに出ている小説は、とにかく好きではないのだ。


それは例えば、私はこんなに大変なんです、かわいそうなんです、そう思うでしょう?思わなきゃおかしいですよ、と読者に強制しているような気にさせられるからで、どんなことでも強制を感じると、途端にさめてしまうのだ。


とはいえ、この本がそこまで文学的というわけでもなし、内容のいかんに関わらず、恋に恋する年齢の女の子だったら、ちょっと影のあるカッコイイ美少年に憧れるのも無理はない。ついでに借りた『銀のキス』というのも吸血鬼もので、これまた美少年だ。やはり吸血鬼は美しくないとね。




ところで、今日はまた珍しく和書を数冊借りてきた。どれもいわゆる宮沢賢治系。宮沢賢治は自分のサイトにコーナーを作っているくらい大好きなので(更新はしばらくしていないが)、へええ、こんな作風の作家がいたのかと思い、借りてみた。


ちょっと見たところ、もろに賢治だ。賢治そのものを題材にして書いている作品もあるから、ずいぶん賢治のファンなのだろうと思う。しかし、内容はともかく、言葉や文字の使い方がここまで似ていると(賢治は目で見るだけでも不思議な感覚に満ちた文章だ)、よくよく研究したのだろうなと、逆に感心する。


来期の早稲田の講座にも賢治に関する講座が2つあるのだが、ちょっと聴いてみたい気はするものの、そんな風に授業として解説されてしまうと、やっぱり嫌かもしれないと思った。哲学めいた話になるのも嫌だし、あれはあれで、自分の自由な感覚で味わっていたほうがいいに違いない。


ともあれ、賢治系の日本のファンタジー、一体どんなものやら・・・。ちなみに、何冊かあるうち、適当に借りてしまったので気が付かなかったのだが、長野まゆみのものは、<少年万華鏡>というシリーズになっているらしい。ちょっと乱歩も入ってる?という感じだが、読むなら順番に読んだほうがいいだろうから、また借りにいかなければ。