『エデンの東』

エデンの東』を読み終えた。上下に分冊されている本の常で、下巻は一気に読み終えた。前にも書いたが、さすがノーベル賞作家だ。とはいえ、ノーベル賞作家が、どれもいいと思うとは限らない。というより、さすが!と思ったのは、おそらくスタインベックが初めてだと思う。小説として完璧だと思った。


この本を読みながら、何度涙したことか。この作品には、人間が経験するほとんどの感情が込められているのではないかとさえ思った。愛する喜び、愛されない悲しみ、拒絶の痛み、罪の意識、嫉妬、憎しみ、生きることの苦悩などなど、私の言葉では表しきれないが、そういう意味で、なんと豊かな作品だろうと思った。


それに、物語の作りや章の切り方など、心憎いほどだ。特に人が死ぬところなど、「死」という言葉をあからさまに出さなくても、いくらでも表現は可能なのだと知った。例えば、「トムは雄々しい男だった」。これだけで、トムという人間が死を選んだことがわかるなんて、いかにそれまでの文章が緻密に書かれているかがわかる。


もちろん、そのあとに葬式やら何やらの話があって、いかにぼんくらな人間でも、前後合わせて考えれば、トムが死んだことくらいはわかるのだが、余計な言葉を出さないというのが、どれだけ効果的か、改めて学んだ気がする。


この作品は名作だし、現代の他の作家の作品と比べるのもどうかと思うが、この前に 『The Secret Life of Bees』*1 を読み、これもまた親の愛を感じたいという話であった。私は正直、それにはあまりはまれなかった。主人公リリィの悲しみがわからないなんて・・・みたいなことも言われたが、こりゃしょうがないやと思った。だって、作家が下手なんだもの。スタインベックの作品に比べたら、あれはファンタジーだと思った。といって、けしてファンタジーを馬鹿にしているわけではないが。


人間の犯す罪や感情に真摯に向き合う姿勢が、『The Secret Life of Bees』には足りないのだと思った。衝撃的な恐ろしい罪を抱えながら、夢のような世界に逃避している姿でしかない。自分の抱えている問題に、正面から向き合えない女の子の話だと思った。そのエピソード自体はかわいそうだと思える。けれども、同情では感動しない。


エデンの東』にもこういう記述があった。

子供にとって最大の恐怖は、愛されないことでしょう。拒絶されることこそ、子供の恐れる地獄です。しかし、拒絶は、世界中の誰もが多かれ少なかれ経験することでもあります。拒絶は怒りを呼び、怒りは拒絶への報復としての犯罪を呼び、犯罪は罪悪感を生じさせます。これが人類不変の物語でしょう。もし拒絶を無くせば、人間はいまとは違う生き物になれるでしょうね。たぶん、頭が変になる人も少なくなるでしょうし、牢屋もきっとあまりいらなくなります。すべての出発点は、ここ、拒絶です。

子供だけでなく、大人でも拒絶されることには傷つく。絶望すらする。拒絶する側に罪の意識はなくても、誰しもが傷つくことであると思う。だが、上の文章にも、「拒絶は、世界中の誰もが多かれ少なかれ経験することでもあります」とある。「あなたはそんな経験をしたことがないでしょう」とはけして言えないのだ。誰しもが、その悲しみ、苦しみを知っているのだ。もっとも、拒絶する側も愉快な気持ちではないはずだ。


しかし、愛されていない悲しみもあるが、愛されていたのに気づかなかったという悲しみもある。愛していても、どう表現したらいいかよくわからないという苦悩もあるのだ。そういう様々な悲しみや苦しみを、スタインベックはあまさず表現している。そのたびに、自分がそれを経験していなくても、涙が出るのだ。


『The Secret Life of Bees』と共通している点がもうひとつある。キリスト教である。『The Secret Life of Bees』は、聖母マリアについての記述だが、『エデンの東』では、創世記のカインとアベルの話である。壮大なファミリー・サーガは、このカインとアベルの物語をテーマに書かれている。「拒絶」の問題も、神に拒絶されたカインから生じている。人類はすべて「カインの末裔」であるから、それは誰しもが抱える問題でもあるのだ。


だからこの物語は、ある部分では宗教的で、かつ哲学的でもある。それは『The Secret Life of Bees』でも同様で、その部分はもしかしたら日本人にはあまり馴染めない部分かもしれないが、非常に大事な部分だと思う。


さて、この『エデンの東』だが、ジェームス・ディーン主演の映画『エデンの東』のアロンとキャルの話は、原作のわずか4分の1である。物語は、アロンとキャルの両親であるアダムとキャシー、アダムの兄弟であるチャールズ、さらにその両親であるサイラス・トラスクとアリス・トラスクまで遡り、そこにトラスク家に深く関わるサミュエル・ハミルトンの一家の物語が重なる。また、トラスク家の召使として長年仕えるリーという中国人(生まれも育ちもアメリカだが)の人生も関わってくる。そして、サミュエル・ハミルトンの娘オリーブの息子が、ジョン・スタインベックなのである。これは、スタインベックが自ら語った、彼の周辺の物語なのだ。