ペーパーバックの魔界

ナボコフなどの翻訳をされている若島正氏の書評「尾崎俊介『紙表紙の誘惑――アメリカン・ペーパーバック・ラビリンス』」に、次のような部分があった。

「ペーパーバックがなぜ魔界なのか。それは、ペーパーバックが人を狂わせる魔力を持っているからである。この紙屑に取り憑かれると、知らないうちにコレクターになってしまうのだ」

ううむ、私はどうもこの「紙屑に取り憑かれてしまった」部類かもしれない。ハードカバーの立派な装丁も捨てがたいが、ペーパーバックは、見ているだけで楽しい。中身を読まなくたっていい。手に入れるだけで嬉しい。こういった魅力のある本が、日本にはない。日本で言う文庫でもない、新書でもない、独特の雰囲気をもつペーパーバックは、マジで魔界だ。

ちなみにこの記事は、実はフラナリー・オコナー関連の検索をしていて出てきたのだが、なぜこの記事にたどり着いたかと言えば、下の本の解説を見てもらえばわかる。

「それはフラナリー・オコナーの小説から始まった。宗教的テーマを扱った「賢い血」でなぜ通俗的な表紙絵が使われたのか。数多くの表紙絵を紹介しながら、アメリカン・ペーパーバックの魔界をめぐる研究エッセイ」─内容(「MARC」データベースより)

つまり、この『紙表紙の誘惑』を書いた尾崎俊介氏は、オコナーの『賢い血』をペーパーバックで読んで、そこから本を1冊書いてしまうほどはまったというわけだ。

今月の「BOOK CLUB」の課題である、オコナーの『賢い血』は、どうにもその世界に入り込めずに苦労しているのだけれど、早稲田の村田先生によれば、オコナーは原書で読まなくてはダメとのことで、やっぱりそうかぁ・・・と納得はしたのだが(翻訳うんぬんいろいろ)、読み始めた時から「これは変だ」と思っていたし、ある所で読んだ感想には、「きちがい小説の傑作」なんてことも書いてあったので、平凡な一般人には、日本語だろうが、英語だろうが、理解の及ばない世界なのでは?と思ってしまう。

マッカーシー『すべての美しい馬』を訳した黒原敏行氏は、大学時代に『賢い血』の翻訳者である須山静夫氏のウィリアム・フォークナーの講義を受けていたそうだ。私がこれから読もうと楽しみにしている、ウィリアム・スタイロン『闇の中に横たわりて』も須山氏の翻訳。

黒原氏は須山氏に翻訳を教わっていたわけではないし、スタイロンの作品は、読んだ人によれば面白かったとのこと。だから、須山氏がどうこうというわけではないが、実際に『賢い血』の翻訳に馴染めないのも正直なところ。たしかに、原文のほうがはるかにいいと思えるものは多々あるが、それでも、言語上の問題ではなく、内容そのものに全く興味がわかない状況では、原書を読むのも無理がありそうだ。

オコナーは短篇のほうがいいという意見もあって、『フラナリー・オコナー全短篇』(上・下巻)も買ってあるのだが、こちらの翻訳もあまり評判が良くないので、どうしたものかと思案中。アメリカ南部の文学として、オコナーの評価は高いのに、邦訳は今いちとなると、この先オコナーを好きになれるかどうか、疑わしい。やはり原書で読むべきか。でも、どうしても原書で読みたいという動機もないわけで、だったら、好きな作家の原書を読むほうが先決じゃないのかとも思う。

村田先生は、Library of America の『Flannery O'Connor Collected Works』がお薦めとのことだったが(小説だけでなくエッセイや手紙も素晴らしい!と)、原書を読みながら、わからないところは邦訳を参考にして・・・というようなことをおっしゃっていた。でも、私はこれを買いたいと思うほど、まだそこまでオコナーにはまってはいないしな。。。

オコナーを買うなら、先にマッカーシーの南部系の作品を書いたいし(魔力のあるペーパーバックだし!)、オコナーは、まあ、そのうちにってことで。(^^;

〓〓〓 BOOK

◆読了した本

『Mossflower (Redwall #2)』/Brian Jacques (著)
マスマーケット: 373 p ; 出版社: Berkley Pub Group ; ISBN: 0441005764 ; (1998/11/01)
出版社/著者からの内容紹介
古のモスフラワーの森は、極悪非道のヤマネコに支配されていた。そこに現れた勇者マーティンは、果たしてこの地に平和をもたらすことができるのか? 前作『勇者の剣』の主人公マサイアスが手にした剣の真の持ち主、伝説の英雄「勇者マーティン」の物語がいよいよ明らかに。修道院の来歴、謎解き、冒険、そして友情。ますます面白いシリーズ第二弾!