本の世界への逃避

よくアポロ13号に、「本なんか現実からの逃避じゃないか」と言われる(彼が本を読むのを嫌いだということではない)。そう言われれば、そうなのかもしれない。

本には好きな登場人物ばかりが登場するわけでもないし、すべての本が面白いわけでもないが、本は絶対に私を裏切らない。私が自ら捨てない限り、どんな本だって、あくまでもそこにあって、私を待っていてくれる。どんな扱いをしても、本は私を責めない(褒めてもくれないが)。文句も言わない。

ただ、本と通じ合った時には、素晴らしい感動を与えてくれる。通じ合うということは、多分に自分自身の経験も合わせた上でのことだと思うから、そういった意味で、本は非常にパーソナルなもので、その感想を他人と共有するといったようなことは、本当は意味のないことなのかもしれない。

現実に嫌なことがあると、たしかに現実を考えなくてすむ本の世界に没頭する。もしくは、現実の世界の言葉ではない、コンピュータ上の言語の世界に浸る。ということは、それらは現実からの逃避と言われても、仕方のないことなのだろう。

人間、長く生きれば生きるほど、嫌なことを経験することが多くなる。それに目くじら立てて怒っているうちは、まだ若いのかもしれない。感情をそのまま表に出せるうちは、まだまだ経験も足りないのかもしれない。年とともに、徐々にあきらめの境地に入り、さらにたくさんの本の世界に入り浸っていくのだろう。そうやって、人間死ぬときは自分一人なのだと悟っていくのかもしれない。

だったら、自分の好みでない本とか、面白くないと思う本を読んでも、時間の無駄だ。時間の無駄は何も本のことだけではない。自分に不必要だと思うことや、マイナスになると思うことは、どんどん切り捨てていくべきだろう。かといって、自分の価値観を他人と比較したり、押し付けたりしても無意味だ。来るものは拒まずだが、去るものは追わず。人には期待せずといったところか。

雨ニモマケズ、風ニモマケズ、
「孤高のカウボーイ」ノヨウナ、
ソウイウモノニ、私ハナリタイ。
ターミネーター」デモイイケレド・・・