本当は怖い長野まゆみ

またアン・タイラーの話なんだけど、もうすぐ100歳になるおじいさんは、死んだ夫の双子の弟であるというのは間違いだったことに気づいた。どう計算しても、そんな年齢だったら、主人公が結婚した相手は70歳近いおじいさんということになってしまう。いくら大人に憧れたと言っても、そりゃ極端すぎると思っていた。


よくよく読んでみたら、死んだ夫のお父さんの双子の弟ということだった。なるほど、それなら納得。にしても、登場人物の関係がややこしい。最初からややこしい。まともな普通の関係は誰一人いないのでは?と思うほど。ここまでややこしくしなくたって・・・。


まず主人公の結婚相手は、かなり年上の男で、別れた妻との間に3人の娘がいる。さらに主人公との間に娘が一人できた(まともなのはここだけか?)。夫は結婚6年後に死亡。3人の娘たちは離婚を繰り返したりして、3人目の夫とか、2度目の夫との間にできた子どもとか、あれやこれや、いやというほど出てくる。


主人公の夫の前妻も登場し、その夫も出てくるし、娘の結婚相手の別れた妻との間にできた息子の妻のほうの両親とか、もう全然わけがわからなくなってくる。なんでこんなにややこしくするのよ〜!という感じ。


でもまあ、そんなのはどうでもいい話であって、そんなわけのわからない家族に囲まれた中にいる主人公の話だってこと。それさえ掴んでいれば、周囲のごたごたは逐一把握しなくてもいいような事柄だ。こういうのを読んでいると、アメリカでは、離婚は結婚同様、日常茶飯事の当たり前のことになっているんだなと思う。



途中で、気分転換に長野まゆみの『行ってみたいな、童話(よそ)の国』を読んでいたのだが、これは他の作品と全然違った作品。本当は怖いグリム童話みたいなノリで、なおかつ「少年」というモチーフが重要。アン・ライスがホラーの合間に、<眠り姫>シリーズを書いたようなものだと思えばいい。ええっ!とびっくりするような本だった。