桃の節句

お雛祭りだからと、特別何もしていないので、とりあえずタイトルだけでも季節感を。


結婚してしまうと、もうお雛様は飾らなくていいのかな?と思ったりしたけれど、飾れと言われても、狭いので飾れない。自分の手作りのお雛様をテレビの上に飾ったこともあったが、ちょっと侘しい。


とはいえ、私が持っていたお雛様の古めかしい人形は、とにかく怖かった。何度も出し入れしている間に首がもげたりすると、本当に恐怖だった。人形って、マジで怖い。特に日本人形は。


母の実家には黒髪のおかっぱ頭の日本人形があったが、従兄弟が「これは髪の毛が伸びて、髪の毛切ってぇ〜と泣くんだぞ」と言って脅かすので、嫌で仕方がなかった。


うちのお雛様は、出し入れが大変なので、途中からケース入りのコンパクトなお雛様に代わった。そちらのほうが顔が丸々としていて、まだかわいらしかったが、お嫁入りの道具に加えるほどの愛着は、とうとうわかなかった。


ただ、この季節になると、それまでかすかな匂いとしてしか感じなかった春が、急に目に見えてくるようになる。桃の節句がひとつの節目として、春がかけ足でやってくるようだ。


東京では、そういった春の匂いも何も感じられないが、「桃の節句」という言葉が、春が来たのだなと感じさせてくれるから、こうした歳時記は大事にしたいものだなと思う。


とはいえ私の場合は、春が来ると毎年確実にひとつ年を取るので、最近はあまりうきうきした気分にもなれない。確実に脳細胞が減少しているわけだし、確実に体の動きも鈍くなっていく。あまり喜ばしいことではない。子どもの頃の春を待ちわびる気分は、もうとうに忘れ去っているかも。


二度と戻ってこない、あの春の感覚。今でもふと、その気配を感じる瞬間もあるのだが、それが長続きすることは、もうない。夏の感覚も、秋の感覚も、冬の感覚も、あの頃の感覚はもう二度と戻ってこないのだが、とりわけ春が、一番寂しく感じる。