高校生の記憶

ステファニー・メイヤーの「トワイライト」はアメリカの高校生の話だが、自分が高校生の頃のことをなんとか思い出しても、やっぱり理解できない。恋愛なんていうのは遠い夢の話だと思っていたし、今の子たちのように情報もないから、自分がおく手とも思わなかった。


男の子のことを全く考えていなかったかというと、まあそういうわけでもないけれど、憧れの対象くらいにしか考えていなかったし、またそれ以上考えてもいけないと思っていたから、今の子みたいに、彼氏がいないから寂しいなんて気持ちは、これっぽっちもなかった。


だから、こういう高校生の恋愛ものを読んでも、今ひとつぴんとこない。人を好きになる気持ちはわかるけれど、ここに出てくる子たちは、やっぱりまだ子どもなわけで、それが背伸びして恋愛ごっこをしているとしか思えないんだな(私も高校生の時は自分が大人だと思っていたに違いないのだが)。きっと、私がオバサンになっちゃったからわからないんだろうけど。


いかにも高校生っぽい口調なのに、大人のふりをしたやり取りが、なんともこそばゆい。気恥ずかしい。しゃれた会話をしろとは言わないけど、せめて年相応の素直なやり取りにしてもらえないだろうか。原文ならそうでもないのかもしれないけど。


だけど「僕は1901年生まれのヴァンパイアだ」と言われたあとの主人公の態度って、やっぱりおかしい。まるで「ヴァンパイア」という言葉の意味を知らないかのようだ。それに、100歳を越えていても、見た目が17歳ならいいのか?それって、人を見た目で判断しないとか、職業で判断しないとかという問題じゃないものなあ。


それと、全然おしゃれではないない、ギャグがすべってるような会話にも我慢できない。って、また悪口になってしまった。これじゃトワイライト・ファンに、ものすごく怒られそうだ。


まあ、とにかく、おばさんには面白くないよ。でも、3巻も用意ができましたと図書館から知らせが来て、どうしてこうもタイミングがいいのだろう?と。キャンセルしようかと思っていたのだが、今更できないので、最後まで読むしかないか。


それから、「ドラゴンランス」直系の『ネアラ』だが、これも今いち。たしかに舞台はドラゴンランスと同じで、微妙に繋がりがあるのだが、女の子を主人公にすると、なぜこうも面白くないのかなあ?というより、「ドラゴンランス」より下の年齢を対象にした作品だからなのか、緊張感に欠けるし、登場人物にも際立った魅力がない。


長野まゆみは、ああ、やっぱりこんな感じかと。彼女の他の本(宮沢賢治っぽい作品)のほうが興味がある。とはいえ、見たことのある、というか読んだことのあるいろんな世界がミックスされている感じ。逆に、こんな風にミックスして書いてもいいのかと、新たな手法を発見した感じ。彼女のイメージしているそれぞれの作家の、いいとこ取りだ。


今日読み終えたのはどれも今いちで、読後感がすっきりしない。数をこなせばいいってものでもないし、わくわくする面白い本が読みたい。面白くない本が続くと、この人は文句ばかり言っている人だと思われそうだ。