『城塞(ザ・キープ)』読了

今日もまた、図書館に予約の本を取りに行ってきた。リチャード・フラナガンの『グールド魚類画帖』がやっと来たのだ。「『白鯨』の魚版」と言われても、『白鯨』を読んでいないので(映画は観たが)、よくわからないのだが、「奇怪な夢想と、驚きに満ちた世界」というのに惹かれた。


それと、ヘレン・フィールディングの『オリヴィア・ジュールズ―彼女のたくましすぎる想像力』は、この表紙なに?という感じ。『ブリジット・ジョーンズの日記』 を書いたフィールディングの作品でなければ、絶対に手に取らないだろうなと。


これの原書の 『Olivia Joules Overactive Imagination』 の表紙は結構良かったのに、日本語版になると、なんでこうなるかな?


紀伊国屋のバーゲンにハードカバーが出ていた時に、PBになるまで待とうと思って我慢したのだが、気が付いたら翻訳が出ていたので借りてしまったけれど、この表紙では、全然違うイメージに惑わされそうでとても嫌。このスタイル、どう見ても一昔前の歌舞伎町のホステスにしか見えない。


さて、F.P.ウィルスンの『城塞』を読み終えた。だいたい下巻は一気にいくのだが、これもその例に漏れず。内容はホラーのはずなんだけど、だんだん「剣と魔法のファンタジー」みたいになってきて、最後は結局ロマンス?え?という感じだった。それはそれで、それなりに面白かったけど。(^^;


で、問題の吸血鬼だが、ブラド・ツェペシュのお友だちではなく、今の人類以前の古の時代から生きている悪(混沌)の存在で、ブラドをたぶらかして、串刺しの刑とかをやらせていたという話。なーんだ!


ここに出てくる吸血鬼というのは、もちろん人間の血も吸うのだが、それよりも、人間の悪の心や精神、恐怖や憎悪などを主として栄養分としているらしい。そういったものは実体として見えないので、昔の人たちは、血を吸われるということのみを伝説として残してきたというわけだ。


ちなみに、ブラドのお父さんがブラド・ドラキュル(竜王)と呼ばれ、その息子のブラドが、ブラド・ドラキュラ(竜の息子)と呼ばれた。その彼が「串刺しの刑」を好んで使ったので、「ドラキュラ=吸血鬼」となったらしい。ツェペシュ(テペシ)は、「串刺し」という意味のあだ名。


これをやっつけるのが、その吸血鬼と同じ時代から何千年も宿敵としていき続けてきたグレーケンという善の存在。当の吸血鬼を倒せるのは、グレーケンよりもはるか昔に作られた、ルーン文字の剣のみ。グレーケンはその使い手として、何千年の時を生きてきたのだ。いわば、時代を超えたヴァン・ヘルシングといったところか?


というわけで、このあたりから、にわかにファンタジーめいてくる。善と悪、魔法の剣、人類よりも昔に栄えた別の古代文明・・・。個人的には全然嫌いじゃないし、ナチス相手の人道無比な話より、こっちのほうがいいと思うくらい。逆に言えば、こういう展開で良かったとさえ思う。


最後には、吸血鬼と一騎打ちをして勝ったグレーケンと、ユダヤ人の娘の恋愛が実るところで終わるのだが、いろいろ疑問は残るものの、まあ良かったんじゃないかと。(^^;