『Above The Thunder』

Renee Manfredi の 『Above The Thunder』 が届いた。あ、そうだ、これ頼んであったっけ、何で買ったんだったかな?という感じなのだが、そうそう、舞台が今年行ったマサチューセッツ州のボストンで、なおかつ初期のイーサン・ケイニンに似ていると書いてあったからだ。


初期のイーサン・ケイニン?それって 『エンペラー・オブ・ジ・エア』(デビュー作 1988年) の頃だよね。というか、最近は医者家業が忙しいのか、2001年の 『Carry Me Across the Water』 以来(作品はこれを入れて全部で5冊出版されている)、新作って出ていないのでは?一体どのあたりまで「初期」と言っているのだろう?


ともあれケイニンは、『宮殿泥棒』 で泣いたほど大好きな作家なのだが、そのケイニンの作品ですら、短編はなかなか1冊読了できない。しばらく前に読み始めた『エンペラー・オブ・ジ・エア』も最後まで読んでいない。翻訳だって『宮殿泥棒』と同じ柴田元幸氏なのに。作家や内容の良し悪しではなく、やっぱり短編という形態そのものが本質的に苦手なんだなと思う。


というか、1編が終わるたびに集中力が途切れるため、他の本に目が行ったり、もうそこで終わった気になってしまったりする。1編ごとに中断しても、ストーリー展開には全然関係ないわけだから、平気で中断してしまうのだ。また、ひとつの話が終わって次の話に入るのに、気持ちを切り替えなくてはならないのも大変だ。さらに長編とは読む前の気合も違う。短編集では、なぜか「読むぞ!」という覚悟ができない。


ちなみに、『宮殿泥棒』は中編集である。短編集と同じで、いくつかの話が入っているにもかかわらず、中編くらいの長さになると、割に読めてしまうのが不思議。中編くらいなら、話に乗ることができるせいか?短編では気持ちが乗る前に話が終わってしまう。


一気に読めた短編集というのは、サマセット・モームとT.C.ボイル、それにエドウィージ・ダンティカくらいかも。そういうわけなので、アリス・ホフマンの新しい本も出ているのだが、短編集なので買うのは控えている。


先日読んだアリステア・マクラウド『冬の犬』 は、図書館の返却日が迫っていたため、一気読みせざるを得なかった。とすれば、短編集は図書館で借りるに限るということか。返さなきゃならないから、よそ見などせず、優先して読むだろうから。


(実際、短編集では言うに言われぬ苦労をしているらしい─某通信)


話は元に戻るが、『Above The Thunder』は、メディカル・ライティングの部分が初期のイーサン・ケイニンを思い出させるということだから、その部分を除けば、ケイニンには似てないってこと?・・・なぁーんだ。