ダグラス・マッカーサー

私はマッカーサー元帥に少なからぬ憧れを抱いており、以前からダグラス・マッカーサーに関することを知りたいと思っていたのだが、マッカーサー研究書はたくさんあるものの、どれを読んだらいいのか、皆目見当がつかなかった。


それと、とある必要性から、息子であるアーサー・マッカーサーについても知りたいと思っていたのだが、こちらは本人は存命中であるにもかかわらず、行方知れずという状況で、情報は故意に消されたかのように、全くない。ジャズ・ミュージシャンで、最近では母親が亡くなった時、お葬式に現れたのが最後というくらいしかわからない。ともあれ、息子について知るにも、まずは父親のマッカーサー元帥のほうからと。


とりあえず、目に付いたものを片っ端から読めばいいのかもしれないが、今年「アラブとイスラエル」の授業をしてくださった近藤先生が「歴史は主観的な学問である」とおっしゃっていたし、そうなると、その歴史に関わった本人が書いたものが一番的を射ているのではないか?と思い、マッカーサー本人の回顧録を買ってみた。


逆に、本人だからこそ良い事しか書かないというのもあるだろうが、私の目的のためには、それでもいいのだ。本人が言っているのだから、間違いないという説明ができれば、それでいい。今すぐ読めるかどうかは疑わしいが、とりあえず一歩進んだという感じ。


それから、黒原敏行氏の翻訳本が2冊出たので、それもまとめて購入。で、その中の1冊の『驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる!』という本だが、タイトルを見ると、なんだハウツー本かとも思うが、ところがどっこい!の本なのだ。これはれっきとした小説で、しかも桁外れに面白い。これはノンフィクションなのか、いややっぱりフィクションだよねという感じ。こちらもすぐに読む予定ではなかったのだが、パラパラと最初を読んだだけで、うっかりはまってしまった。


黒原氏と言えば、コーマック・マッカーシーの「国境三部作」や、ジョナサン・フランゼンの『コレクションズ』、最近ではマイケル・ムーアの『華氏911の真実』などの翻訳で有名だが、いつも感心するのは、本によって文体が全く違うことだ。「この人の翻訳は、みなこういう感じ」という翻訳が多い中で、これは素晴らしいことだと思うし、常に勉強を怠らない翻訳家の鑑というようなものだと思う。


今回のA.J.ジェイコブズは、「黒原氏に翻訳してもらって嬉しい。黒原氏は僕よりも英語が上手いから」と言っている。そりゃ経歴が経歴だけに、当然英語は上手いでしょうよと思うが、翻訳は英語が上手いだけでできるものではないというのは誰もがわかっていることだろう。黒原氏の場合は、作品の雰囲気を日本の作家に置き換えたらどんな感じかと、日本語の語感を大事にしているところが、毎回文体を変えることのできる要因だと思う。


それはともかくとして、この『驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる!』は、硬くなった頭を柔らかくし、なおかつ知識も身に付くという一石二鳥の本である。さらに、爆笑のおまけつき!ちょっと冴えない毎日だなと思う方は、ぜひこの本をお試しください。


ついでに、アニータ・シュリーヴの本は、またしても不倫話だった。考えてみれば、読んだ本は全て不倫話。「アニータ・シュリーヴ=不倫」という図式で固まってしまいそうだ。今回は、45歳の大人同士の恋の話だが、設定にだいぶ無理がある。最後には、どうしても一緒になれないことがわかる悲しい幕切れになるのだが、そういった切なさの描写は、『マディソン郡の橋』のほうが秀逸だった気がする。『マディソン郡の橋』も、けして好きな話というわけではないのだが、この本よりは数倍ましだなと。


この本の中の、いい大人の男女の手紙のやり取りを読んで、鳥肌ものだと思っていたのは私だけかな?これって、日本語訳にも難があるのかもしれないが、女性のほうは詩人という設定であるにもかかわらず、全然素敵な文章じゃなかった。詩人だから素敵な手紙が書けるというわけでもないんだろうけど。極端に言えば、ちょっとキモい。私は照れ屋だから、こういうのは読んでいて恥ずかしくなってしまってダメ。