『オリヴァー・トゥイスト』 読了

やっとディケンズの『オリバー・トゥイスト』を読み終え、ずっと悶々としていた気分がすっとした。ディケンズは、Dover とか Wordsworth といった安い出版社で原書を揃えてあるのだが、おそらく一生箱入りのままお蔵入りなんだろうな・・・と思ったら、クラっときた。


『オリヴァー・トゥイスト』そのものが面白くなかったわけでもないのだが、日本語でも面倒だなと感じた文体を、原書で読むなどという難儀なことができるかしら?と、ぐうたらな私は即座に思うわけである。書き込まれた文章というのは好きだけれども、ディケンズはどうにも面倒。


それでも、翻訳が絶版になっているものの場合は、どうしても読みたければ原書しかないわけで、『Pickwick Papers』なんかは、やっぱり読んでみたいと思うし、どうしてまだまだ捨てるわけにはいかない。翻訳の出ていないものもあるし、アーヴィングが心酔しているディケンズだから、何とかもう少し付き合おう。


とはいえ、ディケンズの作品は、どれもこれも翻訳が良くないのでは?という思いが捨てきれない。『オリヴァー・・・』も、けしてひどい翻訳というわけでもなく、時代とか作家の癖を考えれば、こういう風になるのだろうなとは思うものの、もう少し日本語がなんとかなっていたら・・・と思わずにはいられない。そういう意味でも、箱に入ったままの原書も、そのうち機会があれば、読むべきだろうとは思っている。


肝心の内容のほうだが、風刺小説なので人物の性格がかなり誇張されて書かれているとは思うのだが、「風刺」という前提があるにも関わらず、最後はすべての善人は幸せに、悪人は地に落ちるといった感じで、なにやらあっけない感じもする。生まれたときから虐げられていたオリヴァーが、最後まで苛め抜かれる世にも不幸な結末というわけではなかった。


そこまでしたら、ディケンズも「クリスマスのおじさん」とは呼ばれなかったことだろう。しかし、同時代の作家エリザベス・ギャスケルも、ワンマン編集長だったディケンズと喧嘩をしているくらいだし、人間的にはとても立派な人物というわけでもなかったようだ。ただ、自分も子どもの頃から悲惨な貧乏時代を送ってきたため、貧乏人に対する社会の冷酷さや理不尽さについては、一言も二言もあったに違いないと思う。そういう部分では、『オリヴァー・・・』は、そういった社会悪を鋭く描いているのだろうと思う。


ああ、そうだ!なぜディケンズが好きになれないのかな?と考えたところ、悲惨な話を、妙に喜劇じみた状況(いかにもイギリス的な喜劇)として描いているところが好きではないのだろうと思ったんだっけ。


『オリヴァー・・・』の場合、レモニー・スニケットの<不幸な出来事シリーズ>に設定が似ているとも言えるが(というか<不幸・・・>のほうが『オリヴァー・・・』に似ているのだろうけど)、イギリス的感覚と、アメリカ的感覚の違いか、はたまた作家の性格の違いか、その喜劇の感覚がディケンズのほうはどうもしっくりこないのだ。


◆Bernard Malamud プロジェクト開始