『この手のなかの真実』読了

ウォーリー・ラムの『この手のなかの真実』をやっと読み終える。この分厚い本を本棚から片付けられると思うと、ほっとする。なんでこんなに分厚いのかというと、主人公ドミニクの話だけではなく、ドミニクのお祖父さんの自伝まで、丸ごと書かれているからなのだ。

話はなかなか面白かった(という言い方も変なのかもしれない)が、途中からお祖父さんの自伝が出てきて、これってあり?という感じだった。たしかにお祖父さんの自伝を読むことで、最後にはドミニクの生い立ちが分かるという構成になっているのだが、にしても長い。

自分自身を再認識するという小説はよくあるが、欧米ではポピュラーなカウンセリングの部分が多いのには、ちょっとうんざりだったかも。こんな夢を見たが、それにどういう意味があるかなどというのは、作者が心理学者として本気で分析しているなら読む価値もあると思うが、適当に書いているんじゃないのか?と思ってしまうと、途端にどうでもよくなってしまうからだ。

最後には、中で最も普通でないはずの分裂病の兄(ドミニクは双子の弟)トーマスが、一番まともに見えてきた。それぞれがそれぞれの悩みを抱えていて、それに各自が立ち向かう様子は、辛くもあり滑稽でもあるのだが、奇妙な言動をしているトーマスが、結局は正しかったというような結末は、人間はみな病んでいて、純粋で正しい行いをしているものが、この世の中では狂っているかのように思われるのだろうかとも思えた。

ドミニクが、ずっと自分はイタリア系だと思っていたのに、実はインディアンの血が混じっていたというのも、かなりの衝撃だろうなと思った。人種のるつぼ、アメリカだからこそのエピソードなのだろう。私には、ドミニクの立場になって想像することすらできない。

ラスト・オブ・モヒカン』、『オーシャン・オブ・ファイヤー』、『ミステリー・ウォーク』などから、インディアンはカッコイイと思っている私には、インディアンの血が混じっていたら、ミステリアスでいいなあなんてことくらいしか思い浮かばない。(^^;