<国境三部作> 『平原の町』

コーマック・マッカーシーの<国境三部作>の三作目、『平原の町』を読み終えた。これは、先に読んだ『すべての美しい馬』の続編なのだが、こういう展開になってしまうのか!という感じで、ちょっと悲しい。

『すべての美しい馬』よりもカウボーイの描写は多いのだが、「孤高のカウボーイ」というイメージは、『すべての美しい馬』のほうが強かった。今回は恋愛問題がからんでくるので、「孤高の・・・」という雰囲気はちょっと合わない(ヴィゴっぽくないと言うべきか?)。主人公以外のすべての人間が、その恋愛に反対しているように、私も読みながら、やめたほうがいいのに・・・と思っていたので、結末がどうにも切ない。

文体は相変わらずで、これは誰の会話?と思うところもしばしばだったが、2冊目なので、そのあたりは慣れ。恋愛部分の描写は上手いとは言えないし、妙に難解な哲学っぽい文章もあると思ったが、時折はっとするような描写があって、これはすごい作家だと思った。

マッカーシーは、アメリカ東部に生まれながら、南部作家としてデビューしたというのも初めて知った。それからテキサスに移って、西部作家になったとのこと。

『サロン・ドット・コム』によれば、「ジェイムズ・フェニモア・クーパー(『モヒカン族の最後』の著者)こそ、その最良の面でも最悪の面でもマッカーシーの真の先達である」のだそうだ。なるほど。

同著によれば、マッカーシーの文句なしの傑作は『血の子午線』(『Blood Meridian』)で、この四半世紀にアメリカが生んだ最もすぐれた小説のひとつと言われている。ちなみに日本では未翻訳。これも読んでみたいが、マッカーシーを原書でというのは、どうだろう。。。

似ているところで、ラリー・マクマートリーなどもいるようだが、マクマートリーの本は、なにげに買ってあったりする。そうか、このあたりも西部小説になるんだなと、今頃気づく。

●『サロン・ドット・コム』より
(国境)三部作は文章の出来も一様ではない。ある箇所は出来の悪いヘミングウェイのようだし、別の箇所は出来の悪いヘミングウェイスペイン語訳からの重訳のようである。プロットはまとまりを欠き、時には哲学めいた駄弁の浅瀬に乗り上げてしまう。にもかかわらず、3冊とも息を呑む見事な描写が繰り返し現れるし、人間と動物との間に生じる関係にも思わず感動させられる。